コロナ禍で、一人も降りない、一人も乗らない船(豊島家浦港)


町民参加のまちづくりとは言うけれど


 町づくりの計画がある。

 我が町は、現在総合計画の策定中。そして令和5年度には、次期離島振興計画策定。島ごとに向こう10年間の計画を策定するのだ。

 令和6年度には、次期総合戦力の策定である。こうした計画があることを、町民が知らない町がある。

 一方で、地方創生の流れの中、2015年、最初の総合戦略を町民自身が自発的に公開の対話を通して町と一緒に計画策定してしまった町もある。

 人口わずか4000人余りの町だが、すでに人口減少は止まり、増える傾向まで起きている。

 そこに住む人たちの力を活かせる町と、置き去りにする町の格差は広がるばかりだ。もちろん、そこには長い取り組みと試行錯誤の歴史がある。

 この国では、明治維新以来政治も経済も、地方は中央に依存し、中央は地方から搾取するという特殊な共依存構造が続いてしまった。

 町民は町に「何とかしろ」と要求し、町は県や国に「何とかしてくれ」と要望する。そして国は成熟しきって国全体が衰退疲弊する時代を迎えた。すでに知恵も財源も限界に至っている。

 地方分権、地方創生とは、ともにそこに住む者が自ら考え治めることを呼び掛けている。

 地方は、自分たちの「身の振り方」を自分たちで考えろと言われて困惑しいている。

 町がいちはやく、町民に対して「町の将来とは、あなたの問題ですよ」と問いかけたところでは、もう20年も前に動き始めている。




町づくりの計画

 総合計画は、1969年から改正地方自治法に基づいて、地方自治体の最上位計画として計画策定が義務付けられた。

 町づくりの計画とは、その町の課題や特性を見出し、課題解決に生かされるたものものだった。しかし、箱物と言われる建設事業の優先順位を決める程度の計画としてしか使われず、地域課題解決につながった自治体は少なかったことから2011年、策定義務はなくなった。

 これに対して2014年地方再生法に基づく「人口ビジョン」と「総合戦略」の策定が義務付けられた。これにより「人口が減る」という全国の共通認識はできたが、自立を目指すというところには程遠く、町に住む人と、町の課題を共有して、そのに住む人々の力・活躍を活かして地域づくりに結び付けている自治体はまだまだ少ない。



 そして、共に学び成長するという機会を見つけ出したのだ。しかし、「私に任せなさい・国に要望します」と言い続けたところは疲弊の一途をたどっている。

 自分の暮らしの在り方を、他人が決めることに何の抵抗も感じないことに慣れてしまった。こうした実態は海外で「日本病」と呼ばれている。

 地域に住む者と町が共働する必要がある。

 「共働」とは恐ろしく手間がかかる。だがしかし、すでにわが町では、職員数を限界近くまで減らしてしまっていて余力がほとんどない。

 箱物の建て替えに追われ、経費削減のために人材を大幅に削減したのだ。
 そして、町の計画づくりをコンサルに委託している。悪循環である。

 人が自分事として、認識できる範囲は、お互いに顔の見える150人が限界であるとされている。

 町民一人ひとりが、町全体のことを知っておく必要はあるが、町全体のことを考えるというのは本来無理な話で、自分の生活があるその小さな集落の実態が最も重要な課題なのだ。

 神山、上勝、女川…どれをとっても元気の出てきている町は、小さな単位の成功例の積み重ねから始まっている。
 むしろ、困った課題を活かすことで全国の知る町へと変わっていっている。

 その小さな単位だと、一人ひとりの役割が見えてくる。その時、そこに住む人は活き活きと輝き始める。
 全国で試行錯誤しながら手探りで取り組んでいる。




定数削減という自殺行為

 そこには二つの課題がある。一つは、「議員」という存在の必要性である。「何をしているのか分からない」「コストに見合う仕事をしているのか」という批判がある。自分や特定の対象の利益のためにやっているという批判すらある。だからコスト削減のために定数を減らすというのだ。これこそが身を削る改革であると。

 しかし、実際はどうなのだろう。まともに仕事をするのであれば、住民の代弁者の数は多いほど良い。実際、削減すれば大部や大鐸、豊島などの小さな地域、マイノリティーの小さな声は,、だんだんと届かなくなる。

 議員定数の削減とは「民主主義の自殺行為」である。コストのために身を削る改革を断行するのであれば、定数の削減ではなく、給与の削減、あるいは費用弁償制への転換だと思う。

 自分の給料は減らさない。必要得票数が大きくなれば現職有利で保身につながる。それを身を削る改革と議員自らが言うのであれば、それはダブルスタンダードである。








現代に生きること 世界を見つめて、地域を考える


 巨大地震や戦争の脅威、地球温暖化や生物多様性の崩壊。こうした深刻な事態に私たちは目を背けることなく、向き合わねばならない。

 とはいっても、直接世界に働きかけるということだとは思わない。

 それでも安心できる町であり続けるには、食料やエネルギーの地産地消が必須であることが明確になったのだ。町、いやお互いの顔の見える小さな集落の単位で、自分たちの食べるものは自分たちで作れないのか、自分たちの使う電気は自分たちで作れないのかという規模で考えれば、可能性が見えてくる。

 地震の時に、自分の集落はどうなるのだろう。安全な場所はどこか、誰と助け合えるのか。自分の問題となった時に解決策が見えてくる。防潮堤や避難所はもちろん必須だが、最終的に地域を守るのはお互いが助け合える「共働」なのだ。

 元気に面白い取り組みを行っている地域には、人が移り住んでくる。全国を歩いてみて、元気になった町の物語は、共通していた。自分たちでやること、力を合わせてやること、お金や自分の利益を目的とするのではなく、地域のために共働すること、そして道理で考えること、こうした取り組みをしてきたところは、結果として経済も安定してきている。

 実は、そうした小さな活動はすでにいろんなところで始まっている。

 地球規模でも、地域でも争っている場合ではないのだ。



石井とおる後援会
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