米国時代 先進国の象徴に見えた米国、しかしその実態は、格差と差別と搾取の国であった。米国は世界最大の貧困国だった。

 豊島事件では多くの問題が、悪い人たちによって社会問題となるのではなく、不都合なことに気づいても、知らなかった事にしょうとしている人々によって起こされている社会の実態を見た。そして一人ではなにもできなくても、「共働」することで可能性が広がる体験となった。

 瀬戸内海 太平洋ベルト地帯、西日本構造軸と呼ばれ、瀬戸内海エリアは、戦後日本の中心的開発対象エリアとされてきた。100年ほど前までは大型のクジラさえ回遊していた瀬戸内海は、魚がいなくなり、貧栄養で生態系が壊滅的に崩壊している。

 豊島交流センター・一部離島 県も町も、何故豊島交流センターが豊島に必要なのか説明出来なかった。「本来なら建設できない事業」だと国から叱られながら、管理人となった。島の外の人たちとの「共働」の可能性を見せてもらった。

 県議会議員時代 「国に要望します。市町を指導します」という決まり文句の答弁を繰り返し聞かされた。何故自ら考えようとしないのか。県も町も、そしてそこに暮らす人々も。

 大学教員時代 授業が終わるとキャンパスの中にほとんど学生が残っていない。奨学金とバイトで生活費を稼いでいる学生たち。議論や対話がキャンパスから消えていた。教育が貧困化している実態に直面した。

 伴走型支援事業 一日4万件を超える相談件数、「人」が家庭や地域から孤立している自殺大国日本の裏側を見た。社会のどこが壊れているのかが見えてきた。


激動の時代の移り変わりを経て、現代こそ、過疎の持てる可能性は決して小さくはないと思う。
その可能性を開けるかどうかは、一人ひとりが自ら考え「力をあわせられるかどうか」にかかっている。




 1947年、私の父は、戦後の開拓入植で小豆島の滝宮から豊島山頂の入植村へと移り住んだ。食糧難の時代に、食料を自分でつくることを求めたのだ。母が小馬越から嫁ぎ、1960年に私は生を受けた。

 1969年、アポロが月面に着陸し、月の石を持ち帰った。1970年大阪万博では「月の石」が展示され、小学生だった私は、修学旅行で万博を訪れた。そしてこの年、原子力に火が入った。

 1980年には「一億総中流」と言われ、人口の増加とともに、だれもがこの繁栄がいつまでも続くと信じて疑わなかった。この時代、バブルに火が付き、東京23区を売れば、アメリカ合衆国が買えるという異常な時代になり、日本は世界のビルや土地を買いあさった。

 1991年バブルは崩壊し、「失われた30年」と言われる時代になった。

 2008年、人口は減少に転じ、「過疎地」は消滅する時代を迎えた。戦後、焦土と化したこの国が、奇跡のような高度成長を遂げ、そして急速に衰退する時代へと移り変わったのだ。

 ただ、成長の激動、衰退への転換に人々の意識が追いついていない。成長期に生きた人は、東京をモデルとして「地方は遅れている」という意識に引きずられ、あでやかに見える開発を夢見る。

 一方で、過疎に移り住む人たちは、幸いにも残された自然の中で、すでに都会では失われた、土や顔の見える人々と交わる暮らしに価値を見出す。その価値観のギャップにお互いが困惑している。







おかしいことはおかしい

 豊島事件は、この国が大量廃棄型社会から循環型社会への転換点となった事件だ。

 渦中に居た私は、「もしも自分が当時の県の担当職員だったら、同じ間違いをしていたかもしれない」と今も思う。この事件は、一方が「善」であり、一方が「悪」であるといった問題ではなく、一人ひとりが自分を顧みる問題だ。

 勿論、儲かりさえすればよいという悪質な事業者は居た。

 しかし、あまりにも多くの人たちが、不都合な真実に目を背けて、良心を麻痺させ、自分は知らなかったことにしようと努力したのである。それが、これほどまでの問題に発展した元凶だった。

 そう、「おかしいことはおかしい」という当たり前のことを言わなかった人たちがあまりにも多かったのだ。

 それは、今のロシアによるウクライナ侵攻、翻ってイラク戦争にも通じる。地域内の諍いまでも同じことを繰り返している。

 誰かが「善」であり、誰かが「悪」であるといった問題ではない。あまりにも多くの人たちが「他人」のふりを決め込んでいるのである。これが、取り返しのつかない事態を招くのだ。



豊島事件とは

1990年兵庫県警の摘発で全国に知られたわが国最大の有害産業廃棄物不法投棄事件。豊島住民が事件の真相を突き止め、7000回を超える直接行動を起こして「不可能」とされた原状回復を実現した。このことが各種リサイクル法の制定などわが国の循環型社会への転換へと繋がった。2017年、90万トン以上に及ぶ廃棄物の撤去を終え、発端から48年目を迎えた現場は現在地下水浄化作業の途上にある。



間違えたら改める

 弁護士にこの事件を依頼したとき開口一番に言われた。「ほんで、あんたらは何をしまんのや」。

 もしも、前代未聞の原状回復事業を成功と呼ぶのであれば、その成功のカギは、何事も自分で取り組むという姿勢であった。

 そして、人とは弱くもあり、過ちをおかす生き物なのだ。道理を曲げてしまった時、過ちが始まる。誰一人として道徳や人間性に究極の「完成」などあり得ない。間違えたら改めるという当たり前を持ち続けることこそが必要なのだ。そのことを心に刻む問題なのだと思う。

 この事件では、一つの発見があった。これほどまでに大変な問題であり、多くの人たちが生活を犠牲にして運動にあたった。その多くが比較的高齢者だったが、その目が輝いていたことである。

 「わしの時代に、この島を汚してしまった」(この人たちが汚した訳ではない)

 「きれいにする道筋を立てておかんと、わしは死んでも死に切れん」

 「孫子の代まで恨まれるのはわしはいやじゃ」

 その思いは、時に悲壮感が漂ったが、その一方で生き生きとしている。それは、自分の役割である。一生懸命になれる目的がある。そして、行動することをお互いが肯定し、相互に助け合い感謝している。

 大変だけど毎日が充実しているのである。

 そして、誰一人として自分のために取り組んでいるわけではなかった。共働することの可能性を見せてもらったように思う。




石井とおる後援会
〒761-4663 香川県小豆郡土庄町豊島甲生812 TEL090-5277-9833

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